2008 / 05 / 02 ( Fri )
承認=「生きていいんだよ」という証人
私は、ティーチングだけでは、どうにもならない生徒でありました。 「指示」をうまく聞くことができずに、いつも、見えないところでストレスを抱えて いました。 それに従うことができなければ、当然、怒られてしまう。 しかし、どう頑張っても、要領よくこなせず、いつも、周囲をイライラさせていました。 そうならないように、必死で誤魔化す術ばかり学んでしまい、学校での学習という面 では、どんどん遅れをとってしまいました。 「頑張りたいけど、頑張れない」 悔しかったです。 それでも、私は先生たちに『教室以外』では本当に暖かく対応していただけました。 だから、先生たちには大きな尊敬を感謝の念を持っております。 しかし、教室では、結果が出せないと、やはり、疎外感とか自信喪失などのことが起 こってしまいます。プロセスに焦点が当たることはありませんでした。 私はなかなか、結果が出せなかったため、ひどく頭を抱えていました。 もちろん、全てが、学習障害のせいだなんて、思っておりません。 あくまで、学習障害とは、私の一部分であり、私の全てではないからです。 しかし、「指示がうまく聞き取れない」「ルールがいまいち、理解できない」「文字 の読み書きがうまくできない」などということは、大きな負荷になっていたことを今でも忘れません。 いつも、周りの動きばかりを気にして動いていました。うまく先生の言うことが把握できずに 周りの動きを随時確認しながらだと、とても勉強どころではなく、学校にしがみつく ことで、精一杯だったのです。毎日、過度の緊張をしながら、学校生活を送っていました。 佐々木コーチは、古田中学校の研修で、『教育』の「育」はコーチングとおっしゃいました。 ティーチングとコーチングの両輪どちらが欠けてもいけないと。そのコーチングこそ、 「プロセス重視」なのです。 もし、学校生活を送っていたときに、コーチの「承認」「棚卸し」があったならば、不登校になる前に一 度、立ち止まって冷静に自分自身を見つめ、自信喪失の前に、「まだ、できることがある。」という 希望を持って学校生活に挑めたのではないかと思います。 不登校になり、学校という行き場しかないと思っていた私は、真剣に「生きること」について、 考え始めました。しかし、「学校に行っていない」=「何もしていない」「怠けている」というレッテ ルばかりで、その不登校の時期に何を思い、どうやって生き抜いていこうかと考えている自分は、 まるで存在価値がないかのような感覚でした。 自分の胸の内を話しても、なかなか、「承認」してもらうことができずに全てが嫌に なった時期がありました。今、不登校の子ども達に求められているのは、「生きていてもいい」という、 人格をまるごとを承認してくれて、そして、その先に光を差し込んでくれる存在であると思います。 隣で寄り添ってくれる存在は、自分の歩いてきた道、現在歩いている道、今後歩いて行く道を 確かに見届けてくれる、「証人」になると確信しています。 教育現場にも、「学校コーチ」の存在が現れてくれることを、心より願っております。 南雲 |
|
|
|
トラックバックURL
→http://coachingacademy.blog115.fc2.com/tb.php/25-ed7267eb |
|
| ホーム |
|
