2007 / 10 / 29 ( Mon )
子供の可能性を過小評価してはならない
先日『アンビリーバボー』(フジテレビ系)という番組で、「伝説のコーチ」という人物を取り上げていた。彼の名はケン・カーター。彼はカリフォルニア州の荒れた高校のバスケットボールのコーチとして指揮をとった。彼のユニークなところは、最初に選手全員に「授業を出席すること。チームの平均偏差値を並以上にすること」など、文武両道を課したところだ。この契約が守れなかったら、練習は休み。彼はこの約束を履行した。チームの平均偏差値が並以下になったとき、体育館は施錠された。怒った両親が、カーターに詰め寄る。「子供たちからバスケットをとったら、何をするかわからんぞ!」「息子は、バスケをしているときが一番輝いているとき。その機会を奪わないで!」。これらの批判に対するカーターコーチの言葉が印象的だった。「バスケをしているときだけ輝いてもだめだ。彼らの人生はこの先も続く。彼らにはいつも輝いていてほしい!」。卒業した3人に1人が逮捕され刑務所に行くその学校で、彼は学力をつけさせることで、選手の将来を輝けるものにしたかったのだ。
<佐々木の視点> ○ 学習コーチの視点からすると、「たったひとつでいいから輝けるものをもつことが重要」となりがちだが、カーターは、「すべてを輝けるものにしたい」として、選手にハードルを課した。結果、選手たちはコーチの期待に応え、学業も優秀な成績を修めることができた。 ○ 「子供たちの力はこんなもの」と、勝手に大人が判断するのは、子供たちにとって不利益なこと。かといって、オーバーワークを課すとつぶれる子もいる。コーチは、子供の一人ひとりの可能性について、さまざまな角度から検証し、適度なストレスを負荷する力を持ち合わせなければならない。 |
2007 / 07 / 30 ( Mon )
子どものすべてを受け入れる・・・
前回は、スキル軽視の危険性について述べた。今回は、その逆。スキル重視の危険性について。先日の体験談からひとつ紹介する。
本校のスクーリングには、全国から生徒が参加する。その中の一人が、家庭的な事情で、重たい課題を抱えて地方から上京してきた。にも拘わらず、授業には参加しないまま音信不通に。わたしは慌てて、会場となる学校近辺を捜索し、遊技場で遊んでいる彼を発見した。早速、その子の進路を意識したコーチングを行い、「高校を卒業したい」と熱望するその子の進路にとって、授業に出ることがどれだけ重要であるかを内省させた。子どもも納得したように見えた。しかし、子どもは次の日も現れず、更に悪いことには、こちらからの電話連絡に応答しなくなってしまった。コミュニケーションそのものを拒否されたのだ。 その晩、妻から次のようにアドバイスされた。「その子のすべてを受け入れてみたら?」翌日彼の留守録にこう残した。「一昨日は、単位や学校のことばかりで、君のことはなにも聞いていなかったね。君にとっては、上京することだけでも大変なことだったのかもしれないね。学校のことより、君の生活について話をしようよ。持っている重たいものを聞かせてくれないか。泊まるところはあるのか?お金はあるのか?なにしろ君が無事だということだけでも分かればいいから、電話がほしい」。何度か同じメッセージを残すと、数時間後に電話がかかってきた。わたしの「姿勢の変化」を理解してくれたのか、彼はわたしと再度面談することを希望した。彼はすべてを話してくれた。予想以上の重たい課題だった。現在は、学習計画の軌道修正をしながらも、卒業を目指している。 「すべてを受け入れたら?」の一言は、幾つもの「スキル」を吹き飛ばすほどの迫力を持っていた。コーチングを意識すると、「次にどんないい質問をしようか」と、「スキル」に思いをめぐらせ、肝心の子どもの気持ちから目が反れることがある。今回の出来事で、「スキル」の前にあるべき「気持ち・姿勢」の重要さを再認識することとなった。 |
2007 / 07 / 29 ( Sun )
脱!救済者ファンタジー
現在、某養護施設から声がかかり、施設入所児童向けのイベントを考えている。企画を練る上で、施設に関する幾つかの資料を入手した。そこで大変興味深いことが書いてあった。それは指導員や保育士など職員が陥りやすい「救済者ファンタジー」というものだ。簡単に言えば、「親からの虐待など、ひどい目にあったこの子を救えるのはわたしだけだ」といった感情が先走り、自己犠牲的な行為を繰り返すものの、子どもたちが思うように変化しないため、ある時点を契機に子どもを見捨てるというものだ。これは職員の「意欲」と「技術」のギャップにより生じるものだと解説してある。児童養護施設内に限った現象ではない。過去の取材経験から、一般の教育現場でも生じているのは事実だ。熱血教師の過度な子どもへの干渉。「こんな授業ができるのは、自分しかいない」と決め付けた教師の、技術や経験、情報の独り占めなど。教育関係者の中には、教育は「心」でやるものとの思い込みが激しく、「技術」を軽視する人が少なくない。しかし、数ある職業の中でわざわざ教職を選択する人は、一定の「心」はすでに持っているものと考えるのが普通ではないか。一人の優秀な教師が一生涯で救える子どもの数は知れている。その優秀なノウハウを他者にシェアし、「技術」として体系化し伝承することが教師の役割ではないか。
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2007 / 07 / 28 ( Sat )
コーチの質問は、合鍵だ!
漠然と「大学(ビジネス系)に行きたい」という高三の生徒と向き合った。担当コーチいわく、「具体的な志望動機が見つからない」のだという。たしかに「大学でどんなことやりたいの?」と、聞いても「別に・・・」と。「じゃあ、今、楽しいと思うことってなんかない?」と聞いても、「特に・・・」と答える彼。万事こんな調子である。そこで、彼がコンビニのバイトを半年間していることに目をつけた。「君、バイトを半年もしてるって、すごいね。どうして続いてるのかな?」「・・・。楽だから」。万事休すだと思った。しかしねばって、こう問いかけた「じゃあ、なにか君がしたこと、話したことでお客さんが笑ったとか・・・」。一瞬間をおいて、こう答えた。「あ、ある。タバコをよく買うお客に、ライターをおまけにあげたら、にっこり笑って、翌日から毎日来て買い物するようになった」。ビンゴ!この瞬間、いけると確信した。「きみ、それビジネスでいうところの、プレミアム(おまけ)って発想だよ。きみは、それを自分で考えたんだね」。生徒の目が輝き始めた。かれこれ1時間も話しただろうか。セッションが終了するころには、志望大学の特性にあった立派な志望動機書ができあがった。生徒もモチベーションを上げ、面接に臨んだ結果、見事に大学を合格した。「答えは子どもの中にある」。学習コーチングの考え方が間違っていないことを再認識した。今回は、「お客の笑顔」を想起させた質問が奏功した。学習コーチの質問力とは、子どもの「潜在力が入った宝箱」を開ける「合鍵」のようなものである。どの鍵(質問)が合うかはわからない。しかし、「合う鍵は必ずある」と信じる力が重要だ。
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2007 / 07 / 27 ( Fri )
「自分創り」で、広がる可能性
「”自分探し”などと、ふざけた言葉があるから、子どもたちが甘えるんだ!」
学習コーチングの研修に参加された、ある管理職の教員から発せられた言葉だ。ニートやフリーターが増えた背景に、大人たちが創り出した「自分探し」という言葉に依存する若者の心理があるのではないかと指摘する。「この人は、学習コーチングの価値観と対極にある人だな」と感じた。しかし、よくよく話を聞いてみると、どうもそうではないことが分かった。むしろ逆なのである。彼は続けてこう言った。 「子どもたちはいろんな可能性を持っている。大切なのは"自分創り”の精神だ」 目からウロコであった。コーチングは、子どもたちの潜在的な可能性を引き出すこと。「自分探し」という気持ちで子どもと向き合うと、「やっぱり自分に向いていないからやめる」という子どもとの気持ちを簡単に容認してしまうことになるだろう。しかし、「自分創り」の気持ちで向き合ったときには、「ちょっと待て。本当に向いていないの?考えられる方策はすべて試してみた?環境のせいだとは考えられない?やめるのは、いつでもできるよ。あと1ヶ月がんばってみない?」などと、立ち止まり、可能性を追求することを促すこともできるだろう。子どものいうことをそのまま尊重するか、立ち止まらすか。これらの判断は大人たちの眼力にかかってくる。日ごろから子どもたちの価値観や強みについて整理しておくことが重要だと痛感した。 |
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